そこで観たのは岩手、宮城の三陸海岸への津波被害、そして福島に関してはとにかく原発事故だった。
つまりはテレビで観ている限り、福島県というのは原発の被害だけで震災自体の被害、その後の津波であったりとか、の被害はまったく無いかのように見えるのだ。
今回、もう8年も経ってしまったけれども、実際に観に行かないとわからないことがたくさんありました。
今回、二本松から浪江町に向かって東進。そこから南相馬市~相馬市と海岸沿いを北上して西へ福島市内へと戻ってくるというルートを辿ってみました。
帰宅困難区域への入り口にはバリケードというかゲートみたいなものがあって入れないのではと思っていたのですがそんなものものしいものはなく普通に入れました。
ただ、至る所にこういう看板が立っていて、つまりは国道の一本道以外は脇道に逸れることはできません。
しかもこんな看板まで。
「長時間の停車はしないでください」みたいな看板もありましたし、至る所に監視車が停まっていて監視員?らしき人がおられます。
帰宅困難だけにこういう廃墟になりかけている建物も多く、不届きな輩がいるからでしょうね。
基本、車から降車したりすると怪しまれそうです。
当然、商店もなければ自販機もないので降車する必要性はありませんもんね。
外に出られているのは作業員さんたちだけですね。
常磐自動車道は普通に通行できているようでした。
浪江町役場は壁の塗り替え工事でもしているんでしょうか?
ここまで来ると帰宅困難区域ではありません。
やっぱりそういう輩がいるんですね。
さて海沿いに出てきました。
ここが本当に想像しなかったというか知らなかったというか、な光景でした。
海沿いずっと至る所護岸工事でその沿岸部の陸地はすべて更地。
このあたりも津波で流されたようで
放射線量を計っているんでしょうか?
至る所にこういう看板が立てられていて「ここに家庭があったんだなぁ」と思うと涙なくしてはおれません。
やはり福島でも津波被害があったということで。
なんとも言葉が出ません。
ホントにず~っとこういう感じ。
しかも更地にした後は一面ソーラーパネル。
かつ元からあったのか風車も横にあり、更に火力発電所も近くにあるもんで、「原発なくなってもまだ電力作らされるのね、福島は」なんて気持ちになってしまいました。
東電用ではなく東北電力用のようでしたが。
気を取り直して福島駅へ。
円盤餃子食べたかったんですが・・・今回は夕食に響くといけないので断念。
お宿へ向かう途中には復興住宅だったらしき所も。
使わなくなったのは良いことですよね。
飯坂電車が通過していきました。
飯坂温泉の外湯、鯖湖湯。
なるほど趣ありますねぇ。
福島、すっかり元気でいいですねぇ。
また、お金落としに行かないと。
Jan. 21, 2019 Mon.