まずは島原半島西岸を南下、口之津港に向かい島鉄フェリーに乗船。
このような航路ですので30分で対岸の天草へ到着します。
45分間隔で運行していますので大変便利です。
軽自動車1台に大人2名乗車で\2,390でした。
ちなみに島原港~熊本港間、多比良港~長州港間もフェリーが運行していて大変便利です。
とりあえず見てみたかった天草空港へ。
天草エアラインのみの就航ですがV字回復を遂げたことで近年注目を浴びています。
福岡便と大阪から熊本空港を経由して天草へ至る便の2つの航路があります。
ただ大阪への便は朝早いのと大阪からの便も時間的に微妙なんでなかなか乗れなくてなので車で来てしまいました(;´∀`)
なにせ保有する機材1機ですので発着しない間に行きましたのでものすごく閑散としていてエアコンも照明も経費削減のために切られていました。
まぁ当然というか何時間も誰も来ないわけですからそりゃそうですよね。
祇園橋
石造桁橋では国内最大級、しかも全国的にもまれな「多脚式」ということで、『国の重要文化財』に指定されている。柱状の石を組み合わせた素朴なつくりで、橋脚は水切りのための三角形の流線型になっている。長さ28.6m、幅3.3m近くもある橋間に、約30㎝の角柱が5列9行45脚によって支えられている。
建造年代は天保3年(1832)で時の庄屋大谷健之助が発起して、地元銀主を始め、庶民の協力によって、切支丹殉教戦二百年祭を目途に着工し完成。石材は下浦産で石工も同じく下浦の石屋辰右衛門。
寛永14年(1637)、島原・天草一揆で町山口川を挟んでキリシタン軍と唐津藩との死闘が繰り広げられた。川原を埋め尽くした屍を弔うように橋の近くには橋本徳壽の歌碑が立っている。
※パソコンンの登録上「祇園橋」と表記されますが、祇園橋「祇」の表記は、ネ(しめすへん)に氏 -天草宝島観光協会HPより引用
素朴なというか、これ台風とか来たらヤバイんじゃないの?
と思っていたんですが次の週に台風12号とか天草直撃したみたいだけど大丈夫だったようですね。
本渡殉教公園(本戸城跡)
キリシタン天草種元が1589年の天草五党の乱で小西行長・加藤清正軍に囲まれ、領民とたてこもって滅びた居城跡。天草・島原の乱の戦死者の慰霊の塚でもある。キリシタン墓碑が集められ、整備されている。
-ながさき旅ネットより引用
天草市立天草キリシタン館
島原・天草一揆で使用された武器や国指定重要文化財の天草四郎陣中旗、キリシタン弾圧期の踏み絵、隠れキリシタンの生活が偲ばれるマリア観音など、約200点が展示されます。
4つのゾーン(天草キリシタン史、南蛮文化の伝来と島原・天草一揆、乱後の天草復興とキリシタン信仰)に分け、解りやすく解説。
-天草宝島観光協会HPより引用
ぶらぶらと観光し、そろそろお昼です。
そう本日はこの旅行最大のクライマックス、"THE SUSHI DAY"なのであります。
つづく
蜜柑色の夏休み Day3-2 天草寿司行脚 お昼は蛇の目寿しさんへ 2016.08.28 Sun