もはや知らない人はいない獺祭やプーチン大統領が大谷山荘で呑まれたという東洋美人なども有名ですが、私としては「貴」をオススメしたいです。
山口県は宇部市の酒です。
その酒蔵、永山本家酒造場に行ってきました。
明治21年創業とのことですのでその頃からの建物でしょうか。
実に重厚なレトロな建物でございました。
これも夜の仕入れです♪
その後、其中庵へ。
俳人・種田山頭火(本名:種田正一、1882~1940年)が、昭和7年から昭和13年のあいだ過ごした庵を、当時親しく訪れていた近木黎々火(ちかきれいれいか)氏による見取り図を元に復元したもの。
建物の横には、山頭火の師・荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の筆による句碑と、東屋があり、奥には山頭火の使用していた井戸があります。
また、庭園や水琴窟(すいきんくつ)のある休憩所も無料開放されています。
-引用元:山口市観光情報サイト
其中庵の名の由来は法華経の中の『普門品(ふもんぼん)』にある「其中一人作是証言(ごちゅういちにんさくぜしょうげん)」という語から取られています。
句碑とか井戸とか建物外にもいろいろあります。
行乞していた様子がうかがわれます。
行乞とは托鉢のことですね。
種田山頭火、好きですねぇ。
もちろん自由律俳句を詠んだことで知られているわけですが、それよりもなによりも旅と酒を愛した出家者というのがどっかで聞いたような・・・(笑)
山頭火に関してはこのサイトに詳しいのでよろしければ。
その中でも其中庵に居た頃のところを引用します。
1932年、50歳を迎えた山頭火は、肉体的に行乞の旅が困難となり、句友の援助を受けて山口県小郡の小さな草庵に入り「其中庵(ごちゅうあん)」と命名する。湯田温泉にも近く、ここに7年間落ち着くことになる。深酒は相変わらずで、当初は近隣の人々から不審な旅僧と見られていたが、高名な俳人が山頭火を讃えたこと、其中庵での句会に多数の句友が集まったことから、次第に彼への接し方が温かくなっていった。いやあ素晴らしい(笑)
※山頭火の酒豪ぶりはハンパじゃなかった。本人曰く泥酔への過程は「まず、ほろほろ、それから、ふらふら、そして、ぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ」であり、最初の「ほろほろ」の時点で既に3合だった。酒と俳句については「肉体に酒、心に句、酒は肉体の句で、句は心の酒だ」と語っている。
私も最期は旅と酒、美味い肴に囲まれて迎えたいものです。