久能山東照宮と三保の松原をふらっとサイトシーイング
































食ってばっかなので少しは観光でもしてみっか、ということで。
久能山東照宮に行ってみましょうそうしましょう。
僕は久能山東照宮には下から歩いていくルートしか考えてなかったんですがさすが地元の友人はよく知っていて(いや私が何も考えていないだけで常識なのか?w)、日本平からロープウェーで下るといいと。
ですのでまずは日本平へ。日本平デジタルタワーなるものがありました。
駐車場代もかかりませんでしたしいいですね。



ロープウェーと久能山東照宮と博物館の入場券のセット。
数十円安いだけでしたけどね(笑)


てことで到着ー(^^♪
久能山東照宮について
久能山東照宮は、徳川家康公をご祭神としておまつりする全国東照宮の創祀です。

徳川家康公は、天文11年(1542年)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)にお生まれになり、あらゆる艱難辛苦の末、戦乱の世に終止符を打ち、江戸時代260余年にわたる世界に其の比を見ない「泰平の世」の礎を築かれ、学問、産業、文化の基礎を確立し近世日本の発展に偉大な功績を残されました。
晩年は大御所として駿府城に在りましたが、元和2年(1616年)4月17日、波乱に満ちた75年の生涯を閉じられました

徳川家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残されました。
この御遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍秀忠公の命により久能山東照宮が創建されました。

-引用元:久能山東照宮公式サイト




で、東照宮。
日光と同じような設えですね(当たり前か)。



財運の厳島神社だけお参りしときました。







これだけインバウンドのお客様が増えると英語、中国語、韓国語の案内はもはや必須ですね。

日本語だとおなじみの案内です。


家康公は熱心な浄土宗門の信者さんでしたので西向きにという遺言なのだと思います。
西方浄土を仰ぎ見るということですね。

日光東照宮と同じ時期にこちらの東照宮も改修した由。
鮮やかですね。


キレイな海岸線だなぁ。

さてまたロープウェーに乗って今度は上がります。

で、三保の松原

三保の松原(みほのまつばら)は、静岡県静岡市清水区の三保半島にある景勝地。その美しさから日本新三景(大沼、三保の松原、耶馬溪)、日本三大松原(三保の松原、虹の松原、気比の松原)のひとつとされ、国の名勝に指定されている[1]。また、ユネスコの世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に登録されている。

なお、「三保の松原」は名勝としての指定名称及び世界文化遺産・構成資産一覧では「三保松原」と表記され、表記にゆれが存在する。新聞等ではハンドブックにより「三保の松原」で表記を統一しているところもある。
-引用元:Wikipedia

平安時代から親しまれている三保半島の東側に広がる景勝地である。総延長7km、3万699本の松林が生い茂る海浜と、駿河湾を挟んで望む富士山や伊豆半島の美しい眺めで有名。歌川広重の『六十余州名所図会』「駿河 三保のまつ原」を始めとする浮世絵にも描かれている。また、日本最古の和歌集である『万葉集』に

(廬原(いほはら)の 清見の崎の 三保の浦の ゆたけき見つつ 物思ひもなし)
— 田口益人、『万葉集』巻3-296

と詠われて以降、多くの和歌の題材となり、謡曲『羽衣』の舞台にもなっている。

三保半島は、安倍川から海へと流された土砂が太平洋の荒波に運ばれ、日本平を擁する有度山を削りながら出来た砂嘴である。何百年にわたり流された土砂(漂砂)が静岡海岸、さらには清水海岸に幅百mを超える砂浜を作り、現在の清水港を囲む三保半島、および三保の松原の砂浜を形成した。

羽衣伝説の舞台でもあり、浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」があり、付近の御穂神社(みほじんじゃ)には羽衣の切れ端といわれるものが保存されている。羽衣の松には毎年元日の朝に大勢の人々が集い、伊豆半島の山々から昇る初日の出を拝んでいる。

-引用元:Wikipedia






























これも広重が描いておりますね。




まあ晴れてればもう少し美しいのでしょうが肝心の富士山が見えないんじゃあなんともねぇ。

あれは戸田と結ぶフェリーですかね。
地味に高いんすよね(苦笑)




Apr. 16, 2018 Mon.

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